人はつい誰かと比較してしまう生き物である。なんだか幸せそうな(に見える)人を羨ましがったり妬んだりする。自分ばっかり不幸な目にあっていると被害者意識も持ってしまう。
私は、周りの人と比較してばかりして悩む時期があった。もちろん、今でもふとしたときに、誰かと比較している自分がいる。だけれども、以前よりはだいぶ悩む時間は減っている。
その理由は、オリンピックを観るなかで、あることに気づいたからである。
4年に1度のオリンピックに照準をあわせて、日々たゆまぬ努力をしている選手。ある意味、金メダルを取ることに全集中している。そして、挫折や苦難を乗り越えて獲得する金メダル。金メダリストになった瞬間は、とても輝いている。名言が生まれる瞬間でもあるが、まさに「これまでの人生で一番!」といった喜びを味わっているのだ。そして、しばらくは周りからチヤホヤされる。日本であれば、色々なテレビ番組やCMに引っ張りだこになることもある。
しかし、金メダルを獲った選手が、次のオリンピックにも戻ってきたときに、ほとんどの選手は「金メダルのプレッシャーで戦えない時期があった」といったことを話しているのだ。そんな光景を何度も観ているうちに、勝っても地獄、負けても地獄で、人生とはそんなものだと思うようになっていったのだ。
また、起業したことで、経営者の方と仕事をする機会が多くなったが、苦労なし、挫折なしの順風満帆な人生を歩んでいる人はいないのである。大きな負債を抱えてしまった、騙されてしまった、なかなか芽が出なかったなど、挙げたらきりがないくらいどん底を味わっているのである。
私たちは、つい“瞬間“だけを切り取って見てしまいがちである。そうして、あの人は恵まれているとか、苦労知らずで羨ましいと思い込んでしまう。しかし、そういう人たちは、”今“そうなだけであって、過去には色々な挫折経験もあるし、この先にも試練があるのである。試練を乗り越え、笑える”瞬間“の時間を少しずつ長くできるようになっているのではないだろうか。
そんな風に考えられるようになってからは、「私ばっかり不幸」と考えるのではなく、いま自分は試練のタイミング、他人と自分の人生のリズムは違うのだと考え、気持ちを切り替えられるようになった。悩むことで見えることもあるが、どうにもできないことに、いつまでも悩むのは時間のムダになってしまう。妬み僻みにかける時間はもったいない。