私は、単調な仕事が苦手である。また、同じことの繰り返しにも気持ちが失せてしまう。常に「働きたくない」と思いながら生きているのに、その気持をさらに助長させるのが、変化、刺激のなさである。
会社員時代は、毎朝駅のホームで電車を待ちながら「人生ってこんな繰り返しで終わるものなのか……」と失望していた。成長を感じられない日々に不安を感じ、しかし何も行動できない自分にイライラ。自分を正当化するための言い訳、周りに対する愚痴ばかりだった。
そして、そんな自分に疲れ果て、一歩踏み出して起業した。いまは、どんな仕事を受けるか、量、働く時間、場所をコントロールして仕事ができるようになったが、その一方で、毎月のお給料などの“安定要素”を放棄しなければならなかった。
もがきながら進む時期
私は、もともと考え込みやすい性格もあり、20代は葛藤して悩んでばかりいた。楽しいと思えることは何ひとつなかったといえるくらいだ。また、炎上しているプロジェクト、立ち上げフェーズなどドタバタの環境に入り、前線に立ってトラブル対応などする役回りが多かった。
また、組織の中での理不尽さなども思い知った。そういった社会の荒波に揉まれたことは貴重な財産になっていると感じている。
とはいえ、「コツコツ努力しなきゃいけない」「苦労して辛い思いをしなきゃいけない」と考えるのは違うと思っている。そう考えてしまうと、しなくていい努力や苦労に時間を取られることになるからだ。
来てしまった試練は、成長に必要なものだなと立ち向かいながらも、あえて試練を作り出す必要はない。「試練や苦労なんて、ないならないほうがいいよね」という感覚を持っていよう。
わがままをとおす覚悟をもつ
いまは働き方も多様化している。好きなことややりたいことをやるのはいいのだが、覚悟のないただのわがままが溢れかえっているように感じている。あれ嫌だ、これ嫌だのただの駄々っ子ではダメである。
少数派のことをやっていこうとするからこそ、退路を断っての覚悟をする。起業するのなら、商品が売れなければ、単に自己満足の商品を作っているのかもしれない。行動が足りていないのかもしれない。それを周りのせいにして言い訳しているのでは、目的は達成できない。
まとめ
働きたくないから、覚悟を持ってリスクを取ることも必要になる。一生ダラダラじゃなく一時的でいいのである。それを乗り越えてようやく、“働きたくないから働かない”もひとつの選択にしていけるのではないだろうか。