働きたくないは悪いこと?「労働=美徳」の刷り込まれた概念は捨てよう

人はみな、心のどこかでは「働きたくない」と思っているのではないだろうか。そもそも人間は怠け者なのである。

私は、はっきりとした時期は曖昧ではあるが、大学生のときにはすでに「働きたくない」と思っていた。もっというと「何もしたくない」である。働くこと以外も含めてである。

極度の面倒くさがりと世の中への反抗と諦め

「働きたくない」と強く思うようになったのは2つの理由がある。

ひとつは、相当な面倒くさがりだからである。食べること、トイレ、入浴さえも、誰かに代わってしてもらえるように人間がつくられているのならば、ぜひ誰かにやってもらいたいくらいである。とにもかくにも面倒くさがりなのだ。

もうひとつは、世の中の理不尽さを知ってだったように思う。世の中は、抗えない大きな権力があり、それを変えるなんてことはできない。そのようなことへの反抗や諦めから、必死に働くことがアホくさいと思うようになったのである。

風潮に惑わされず、多面的に捉える

しかし、「働きたくない」と思うことは決して否定されることではないと思っている。物ごとには良い面と悪い面があるものだ。捉え方を変えてプラスのエネルギーにする視点を持てばいいだけの話である。

また、日本社会には「あくせく働く重労働」が美徳という概念が、IT技術の発展がめざましい現代においても根強く残っている。

ほかにも、根性論やポジティブシンキングが美とされがちである。「働きたくない」なんてネガティブなことを言ってはいけないと思っている人もいるかもしれない。誰かに言ったことで「そんなこと口にするな!」と否定されたことがあるかもしれない。

だけど、いつ何時もポジティブになんていられないし、思っていることを溜め込むことは、体の毒にもなる。愚痴にならないように、相手に不快感を与えない程度で、言葉にして吐き出すことも大事である。

責任は自分が取る心構え

「働きたくない」と思いながらも、現実は日々仕事をしている。「働かざるもの食うべからず」という言葉があるように、働かないならそれでいいが、その結果も自分で責任を取る覚悟は必要だと考えているからである。

まとめ

自分の行動に自分で責任を持つ、それができるのであれば、働かなくたっていい。また、「労働=美徳」に洗脳されて「働きたくない」ということをマイナスとばかりに捉えないようにしよう。“働きたくない“という動機から、どうプラスを生み出せるかを考えてみると、効率化につながることなどいくらでもよい面が出てくるのである。

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