仕事において、予算が潤沢に用意されていることは数少ない。ほとんどが値切り値切られの交渉が行われ契約が成立する。そして、さらに厄介なのは当初の条件と相違が出てきたときである。何ごとも実行してみないと分からないから、仕方のない部分はもちろんあるのだが、もし自分がそうされたら嫌ではないのか?反論するのではないのか?と思うことを平気でする人が多すぎると感じる。
その背景には、個人の思いではどうにもならないことが多々あるだろう。個人としては予算を出したいが、会社で承認してもらえないなど。しかし、だからといって相手に失礼な交渉を持ちかけていいということにはならない。どんなときも相手への敬意や配慮を持つことが大事である。なかには、相手への敬意や配慮が欠けるだけでなく、被害者意識で逆ギレする人もいる。
よく社内で部署間での対立が起こることがあるだろう。例えば営業部VSマーケティング部。営業部VSクリエイティブ部など。それぞれの立場での視点などさまざまな原因があるが、相手の仕事をきちんと理解できていないこともひとつある。
私は、以前デザイナーへの指示で、相手を不快にさせてしまった。わずかな修正だと思って、「すぐ終わるよね」というような言い方をしてしまった。他意はなく、自分が普段使うパワーポイントの操作を基準にして、このような言い方になったのだが、デザイナーから「そんなカンタンなものではない。手間はかかるものだ」と言われてしまった。
その時にハッとさせられたのである。実際にやったことのないことを自分の基準で決めてはいけないし、相手への敬意や配慮を持って伝えなければならないと。
仕事を依頼されるときも、人のスキルの価値をなんだと思っているのか?と言いたくなる交渉をしてくる人がいる。例えば、追加予算が出ないけれど、追加で制作したいとき。「いくつか作ってもらった素材を流用すればいいから」というような感じである。そんな単純な話ではない。流用するといっても、別の何かを生み出すということは、結局は流用ではないのである。しかし、そういったことを全く考えられず、人の時間や労力、価値(お金)を奪おうとする人は多い。そして、それは無意識に行われていることがほとんどである。
そして、そういう人ほど、自分が逆の立場になると、「時間がこのくらい掛かるから報酬はいくらほしい」「その予算ならここまでしかできない」とちゃっかり文句を言っているのである。
「自分がされて嫌なことは相手にしてはいけない」―子どもの頃から幾度となく聞いてきた言葉だ。それは、道徳倫理的なところだけでなく、こういった仕事の場面においてでも考えることではないだろうか。
世の中には、単純作業といわれる仕事からクリエイティブな仕事・・・などあらゆる仕事がある。そして、「単純作業=カンタン、ラク」「クリエイティブ=大変」といったような固定観念を誰もが持ってしまっている。
しかし、どんな仕事にも手間がかかることがある。カンタンなことばかりではない。自分がやったことのない仕事、できない仕事であるならなおさらだし、そうでなくとも相手への敬意や配慮を忘れず、また“きちんと価値を付ける”ことをしよう。
自分が逆の立場だったら?を考えることだ。自分の価値をタダ同然と見られていい気分にはならないだろう。相手に不快を与える前に、社内で予算交渉ができない自分が能力が不足ではないか?と考えるくらい謙虚な気持ちを持とう。