自分を他人として俯瞰する① 自分を見切ることが可能性を広げる

人は、自分のことになると良くも悪くも冷静さを失ってしまう。
私たちは一度きりの人生、情熱を持って生きようという言葉をずっと聞かされて育ってきているし、周りの誰かに一度は言ったことがあるのではないだろうか。

人生を情熱的に生きることは素晴らしいことだが、一方でその情熱が自身の足を引っ張ることになる。

そこで必要なのが、自分を他人として俯瞰することである。

頭はクールにしておく

心は熱く、夢や目標に向かって燃えていても、頭は冷静でいることが大事である。しかし、情熱的になるとことで感情が高ぶるため、頭も冷静さを失いヒートアップしてしまう。

私は、夢や目標に向かってワクワクする気持ちがあった頃は、自分の価値観や正義感を周りに押し付け、感情の起伏がとても激しかった。調子がよいときは、猪突猛進状態なのだが、調子がわるいとどこまでも落ちていく。
そんなジェットコースターのような感情の振り幅に、自分自身が疲弊していた。また周りもいい迷惑だっただろうなと反省している。

また、熱くなりすぎる結果、根性論や精神論になり、“見切る“ことができなくなってしまう。

挫折が自分を俯瞰するきっかけをくれる

挫折はできれば経験したくないものである。順風満帆に人生が進んで手に入れたいものがすべて手に入ったらどんなにいいだろう。しかし、挫折を経験するからこそ成長できる。

その成長のひとつとして、自分の実力を見極める力が着く。挫折を繰り返すうちに、適正が分かってくるようになるのである。

私は、ずっとプロのスポーツ選手になることが夢だった。しかし、狭い世界で目立てたとしても、広い世界に出ると、上には上がいることを嫌というほど思い知らされた。その経験を通して、生まれ持った才能、努力による能力、自分自身が努力できる範囲がどの程度かが分かった。

この経験をとおして、諦めるという選択を潔く選べるようになったのである。

まとめ

他人には「諦めが肝心」とアドバイスができても、自分にそれをするのは難しい。しかし、自分のことを他人として俯瞰してみることで、的確な判断ができることもある。そして、それは自分の可能性を狭めるのではなく広げることにも繋がる。

時間は有限である。人生は長いようで短い。時間を有効に使うためには、自分を見切ることも必要になる。もちろん、何でもかんでも諦めるのではなく、“自分の可能性を信じる“ことと絶妙なバランスを取りながらである。

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