働き方改革と声高にいわれるようになって久しいが、いかに残業を減らすかといった施策もそのうちのひとつである。ひと昔前よりは、世間が残業に対して厳しい目を向けるようになっている。私も、夜遅くにクライアントにメールをするようなこともあったが、いまではほぼなくなった。また、相手からもほぼない状態である。
しかし、本当に残業は減っているのだろうか。ITだのDXだのといった横文字ワードが実態を伴わず流行っているだけで、効率化も仕組み化もされていない。また、残業する人が優秀と考えるような管理職もまだまだ多い。だから、上司の顔色をうかがいながら、仕事が終わっているにもかかわらず定時になっても帰れない。
私は、ずっと時間軸での評価には不満を持っていた。
〈残業が評価され、肉体労働が美徳とされる風潮〉
とある会社にいたときは、定時に帰るなという空気が漂っていた。しかし残業代はつかない。
社員はみな、上司の顔色を窺ってばかりで、上司が帰るまでは仕事がなくても無理やり残っているような環境だった。そして、そんな環境に慣れてくると、どうせ今日も残業しなくちゃいけないからと、ダラダラと仕事をするようになってくる。ムダな労働時間が生まれているのである。
私はそんな環境への反抗もあり、またムダなことは嫌いなので、定時で帰れるときは空気を読まずさっさと帰るようにしていた。それもあって、決められた時間内にいかに仕事を終わらせるかを考えていた。例えば、誰かに依頼するものを先に対応して、自分の手元に留めていることでロスにならないように工夫をしたりしていた。
〈成果よりも時間で給料が決まる報酬制度〉
能力ではなく時間に対しての報酬は、できない人にとっては都合がいい。しかし、アウトプットが早い人、段取りがいい人は損をする。能力が高いのに損をするという矛盾。もちろん、時間単価に差がある場合もないわけではないが、不思議とこの矛盾に目を向けていない経営者が多いと感じている。例えば、他の人よりもパフォーマンスが良くても、ラッキー!もう少し仕事をお願いしようという考えで、単価を上げようとしない。
私は、起業してよかったと思えることのひとつに、こういったことが解消されたことがある。自分次第という厳しい側面はあるが、いかに効率的に動いて、より多くのお金を生み出していくかを考える。その方法のひとつが、自分をラクさせるためには、相手もラクにさせることが大事だと分かったのだが、これは人と人を調整していくディレクションの仕事におおいに役立っていると思っている。
効率化や残業をなくせというのなら、また社会全体の成長力を上げるには、時間軸ではなく成果軸で、「できる人」に報いる考え方にシフトする必要があるのではないだろうか。