人は、自分のことをさておき、他人のあらにはよく気づくものである。そして、他人を変えようとする。しかし、そもそも他人を変えることはできない。できるのは多少のアドバイス程度である。そしてアドバイスも、自分自身が整っていてはじめて、相手に響くものである。
私は、愚痴や言い訳ばかり言っていたころは、なんでも周りのせいにしていた。他人の批判をしては偉そうな態度を取っていた。ずばずばとものを言うのは悪いことではないが、相手の気持ちも考えず、間違った自己防衛としてやっていた。
当時は、それに気づくこともなく「相手のため」と思っていたのだが、無意識のうちに偉そうな態度を取っていたのだ。
それに気づいたのは、友人と揉めたことがきっかけだった。それまでよく相談に乗ることがあったのだが、揉めたときに「上から目線の態度で見下しているように感じていた」と言われたのである。最初はそれを否定したい気持ちでいっぱいになったが、振り返ると思い当たる節があった。また、接する態度そのものもそうだが、自分自身が何も行動していないにもかかわらず、あたかも自分はやってきているかのように、よく見せようとしていたのだなと反省するところもあった。アドバイスをして他人を変えている(本当は変えることなんてできていない)ことで、優越感に浸っていたのだろう。
そんな人からアドバイスをもらっていい気分になる人はいないだろう。人が周りからいなくなり、それを認められずに被害者意識を持つようになってくる。「なぜ誰も私のことを分かってくれないの!」と。
そうなると、分かってもらおうと説得しようとして、主張を押し付けることをしてしまいがちなのだが、逆効果である。
周りに何かを求めるなら、自分を整える以外に方法はないのである。口先だけではなく行動で見せている。自分が整っていれば、自然とまわりも整ってくるのである。わざわざ自己主張を押し付けたりしなくても、スムーズに物ごとが流れるようになる。
そうなるまでには、誰にも理解されず孤独を感じることもあるかもしれない。不安や恐怖もあるかもしれない。一時的な不安や恐怖を乗り越えてあとはラクをするか、目をそむけてずっと不安や恐怖を抱えていくのか。どちらがプラスで快適かは明らかである。