変化のスピードが早く、先が見えづらい時代に生きる私たちは、不安や恐怖にさらされることも多いのではないだろうか?
高度成長期の日本のように、終身雇用で安心して定年まで働けるという時代のようにはいかないなかで、どう不安や恐怖と向き合っていくとよいのだろうか。
日本人は真面目で優秀だと世界的にも評価されているし、私もそう感じている。しかし、その一方でそれが裏目となって苦しんでしまっているケースも少なくない。もっと能天気になってもいいのではないかと思う。
なぜなら、凸凹道を走る車のハンドルは遊びがないと安定しないからである。
目の前の出来事や将来をただただ悲観し、不安や恐怖を抱くのではなく、前向きにどう捉えられるかを考え、客観的に判断していくこと。その中で、「何とかなるさ」「なるようにしかならない」という気持ちを持って対応していくのが大事なのではないだろうか。
私は、イベントのディレクションの仕事をすることもある。この仕事は、当日までの準備、当日の運営とハードワークである。その過程では、準備が本当に間に合うのか、当日は事故なく無事に終えられるかという不安もでてくるときがある。しびれるようなピンチの場面もでてくる。しかし、うだうだ考えすぎても進まなくなる。だから、いつもあるのは「何とかなるさ」という気持ちである。もちろん、手を抜くということではない。やるべきことはやるのは当たり前である。そうすると、どうにかなっているのである。
私たちは、残念ながら将来を完璧に予測はできない。未来がどうかなんて、誰にも見えていないのである。
結局は、人はそれらしい仮説のなかでしか生きられないのである。だから、得体の知れないことに真面目に向き合いすぎても疲れてしまうだけである。また、長い目でみたら、“今このとき”は人生のごくごくわずかな期間である。自分の人生がよかった、もっとこうしたかったといえるのは死ぬ時ではないだろうか。そう考えると、いま不安や恐怖と真面目に向き合いすぎて立ち止まってしまう時間も無駄に思えないだろうか。
もっと肩の力を抜いて軽やかにいこう。