「世のため人のため」。何かを成し遂げられる人生を送れたらと思っている人は少なくはないのではないだろうか。それによって、自分の存在価値が満たされることもある。
しかし、「世のため人のため」に成し遂げられる人は、どのくらいいるのだろうか。身近な人を助けたることは誰にもあるかもしれないが、社会的な範囲におよぶとなるとごく一部の人だけである。
だけれども、私たちはずっと「世のため人のためになることをしなさい」といわれて育つ。そして、ときには使命感や義務感に縛られて苦しむことになるのである。
私は、ずっと「誰かのために」という考え方でなければならないと思っていた。そして、自分の非力さを感じるたびに、自分はダメな人間だと思ってしまう。また、「誰かのために」とやっているはずなのに、相手からは感謝も何もない。
そうなると、被害者意識が生まれる。「あんなにしてあげたのに」という怒りの感情も沸いてきて、人間不信にもなってくる。そんな意識を持つようになると、何もかもうまくいかなくなる。仕事もプライベートも、人間関係もぐちゃぐちゃである。
そんな状況から、ある考え方に視点を変えてみたら、徐々に物ごとがスムーズに動くようになっていった。それが「すべては自分のため」という考え方である。
「すべて自分のため」というのは、相手を蹴落とすとかといった自分以外の存在がどうでもいいと考えるということではない。むしろ相手を大切にするのだ。
自分が自分にプラスを生み出す努力をすると、自然と相手にもプラスをもたらすのである。この流れは原理原則といえるものだと思う。だから「世のため人のため」なんて考える必要はなく、「自分のために」行動をしていけばいいのである。
また、物ごとには順序があって、まずは自分である。自分が整って、周りが整い、社会が整う。それなのに、まずは人のためにとか世の中のためにという順序を教えられてきている。だからうまくいかなくなるのである。
そして、あらゆるところに問題があると、ついどれも一気に片付けてしまいたくなる。しかし、ひとつのことが整うと、不思議と他のことは何もしなくても解決するのである。私は、その最初に向き合うことが仕事なのかなと考えている。人生の大半は仕事をしているからかもしれないが、仕事がスムーズになると、プライベートも充実してくる。
「自分のために」「まずは仕事を整える」。この2つのことをやっていたら、何もかもがうまくいかなかった頃が嘘のように、環境が整ったのである。次から次へと起こる問題に頭を悩ませることばかりに使っていた時間が、今ではわくわくするようなことを考える時間、大切な人たちとの時間に変わったのである。
順番を意識して、焦らず気負わず、自分のために自分にプラスを生み出す努力をしよう。