周りに振り回される、やることなすこと空回りする。そんな経験は多くの人が持っているのではないだろうか。
私もずっとそうだった。そして、「こんなにやっているのに」「こんなにやってあげたのに」という被害者意識が生まれ、心身ともに疲れ果てる。そして周りとの人間関係もぎくしゃくしてくるという悪循環にはまっていく。
そこからようやく抜け出せたのは、30代になってからである。なぜ抜け出せるようになったのかというと、“距離を置くこと”を覚えたからだ。一種の割り切り、諦めといった要素も含む。
私は、もともとに責任感や正義感が強いほうである。長男長女で育った人には、共感してもらえるところかと思っているのだが、そういった境遇も関係しているのだと思う。長女(長子)で育った私は、とくに正義感をすごく振りかざしていたと思う。今となっては恥ずかしいかぎりである。
だから、世の中に対して理不尽には真っ向勝負みたいなところがあったし、周りの人にも「私が正しい!」という主張を押し付け、多様な価値観を受け入れるという振り幅がまったくなかった。
しかし、残念ながら世の中には、“大人の事情”とやらがはびこっている。また、人の価値観を変えることもできない。「自分がコントロールできないこと」に躍起になっていたら、貴重な時間が奪われるだけでなく、心身ともに疲弊もしてしまう。それがだんだんと分かるようになって、自己防衛することや、スルーすることも必要なのだと考えるようになったのである。
〈◯◯◯ディスタンス〉
・社会との距離―大きな力への抵抗、正義感を持たない
世の中を変えてやる!という気概を持った人は、いつの時代も必要である。
しかし、そこまでのエネルギーは持てないのなら、一線を引いておく。
・仕事との距離
“仕事だから”と、何でも真剣に受け止めすぎてはしんどくなる。
たしかに仕事は大事なことであるが、一方で人生の目的ではない。
仕事がうまくいかなかったらすべて終わりのような感覚は違う。
・人との距離
家族、友人、恋人といった近しい人であっても、まったく異なる価値観を持っている。
上司や同僚といったらなおさらである。そして、価値観や考え方は、その人が育つ環境や
経験から成り立っているものであり、簡単には変わらない。
どうにかしようとするよりも、「こんな価値観もあるんだな」と自分が受け入れられる
くらいの距離感で見るようにしておく。
これらの距離感は「3メートルくらい」と表現できるものではない。人によって快適なポイントは違う。そこを見つけ出すには、試行錯誤が必要である。私も、距離を取りすぎてしまって単に諦めになっていたり、逆につい熱くなってしまったりしながら、自分にとっての快適な距離を保てるようになった。それでもまだ失敗することもある。
毎年のように甚大な被害をもたらす自然災害や、〇〇ショックといった想定外のことが起こる。また、なにかにつけてすぐ誹謗中傷をしたりとストレス社会である。そんな時代には、なおさら自己防衛が必要である。時間と労力とお金を無駄にしないためにも、距離を置くという術も身につけておこう。