仕事では価格交渉がつきものである。そんな場面において、よくありがちな話―「たったこれだけなのに高すぎる」といったことだ。私は、この言葉を聞くたびにうんざりする。よく、多くの会社では、人は“財“だということから人材ではなく人財と使っているが、単にそれらしき字を使うことで満足しているだけではないだろうか。
もし、本当にそう考えているのであれば、それは社内外問わずに、特に社外の人の価値をしっかりと考え配慮することが必要だと思っている。本来、社外にお願いしているということは、社内ではできないことをサポートしてもらっていることがほとんどである。それなのに、安く安くとばかり言うのはいかがなものだろうか。
私は、制作の仕事に関わっているが、制作のなかでよくあるのが例えばこんなものだ。
ボリューム少ないのに…(高い)
拘束時間は長いかもしれないけれど稼働してもらったのはわずかなのに…(高い)
実際使う素材はたったこれだけなのに…(高い)
たしかに、ボリュームや時間によっての基準はあるが、時間が短いとかボリュームが少ないという単純な話でもない。
出典は不明で事実かは分からないが、ピカソの有名な「40年と30秒の価値」という話がある。
ある女性が、ピカソにお礼はするから絵を書いてほしいと依頼した。そこでピカソは30秒ほどで絵を描き1万ドル(1ドル1000円換算とすると100万円)を請求した。女性は、30秒もかかっていないのに…とピカソに言ったところ、ピカソはこう返した。「いや、30秒ではない。40年と30秒かかっているのだ」と。
これは、そこに至るまで、どれだけの時間を積み重ねてきたかをいっている。まったくそのとおりで、いま目先で見えているものができるようになるまでには、その人が積み上げてきた時間がある。だからこそよいサービスを提供してもらえているのである。
また、成果物ができるまでには、細々とした作業がたくさんある。
例えば、記事の執筆。成果物としては1000文字の文章、5000文字の文章とだけしか見えない。しかし、よく背景を見てみると打ち合わせをしたり、情報収集や調査をしたり、何度も推敲したり、修正対応をしたりと過程があるのだ。
自分に置き換えて考えてみるとよく分かるのではないだろうか。成果物を出すまでにきっといろいろなことをやっているはずである。
また、自分のスキルや時間の価値を、「たったこれだけのことなのに…(高い)」と言われたらどうするだろうか?おそらく、自分の価値はしっかりと主張していくのではないだろうか。
実際に目に見えるのは、ほんの一部分。それを安易に“たったそれだけのこと”と認識して、高すぎる、もっと安く安く…と値下げ交渉をする。価格調整の場面ではありがちだが、もっと目には見えない背景まで見て交渉をすることを心掛けることが相手への敬意でもある。自分の都合だけでなく、自分の価値を大事にするのと同様に相手の価値も大事にしよう。